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親が行うアブステナンス教育 椙井小百合  

子どもの選択は何が基準?
  私が、自宅でアブステナンス講座の準備をしているときです。性感染症に関する情報や、コンドームの有効性の限界を示しているFFJのビデオを見ていると、当時高校2年生だった長男がいつの間にか後ろで見ていて、「結局はそんなこと(軽はずみなセックス)をしなければいい、ということじゃないか」といいながら、自分の部屋に入っていきました。

 また、以前、中学校の保健室で会った中3の男子生徒数名と話したときのこと、いろいろな話の流れの中で、ある子は「…でも相手とセックスしたとき、ヘタだと思われたくない(だから、その前に経験しておかなくちゃ恥ずかしい)」ということを言ってきました。私は「あら、あなたが上手かヘタか区別がつくほど、相手の子はいろいろ経験していてもいいってことなの? いろんな人と比べられなくちゃ、あなたが上手かへたかわからないじゃない」と話すと、びっくりしたような顔をして「ほんとだ、そんなに経験している人は嫌だ」といっていました。それを聞いていた別の男の子は、「それなら、そんなこと(セックスの経験)しなくていいんだね」と、ホットしたようにつぶやいていました。

 「アブステナンス」という言葉の意味は結婚まで性行為を待つことですが、その基本は人格の教育です。子どもが付き合う相手を替えるたびに、病気の危険性や妊娠の心配などが増えることを口をすっぱくして話したところで、聞いた本人が心からその深刻さと、自分の行動を改めたいと思わないことには、ただ親子の間に争いが起こるばかりになってしまいます。物事の重大さを受け止める人格が育っていなければ、親の忠告も、ただのうるさい騒音と同じなのです。

 息子の言葉や、中3の男の子とのやり取りの中で私が感じたことは、「子どもたちはきちんと物事の道理を話せば理解する」と言うことです。しかし、今の子たちは、基本的な善悪の判断基準も教えられないまま、とにかく「自分で考えなさい」という教育を受けているのです。「ほら、どっちがいいの、早くしなさい」といわれると、子どもは道徳的な基準で選択するよりも、自分にとって楽な方、簡単な方、という基準で選択します。性行動においても、子どもたちに一番身近な性の情報は、ほとんどが雑誌かテレビ、または友人からの根拠のないものです。それらの情報から得る知識の中で、自分の性行動はどうしたらいいのかを判断するとき、それは当然、自分の欲望を我慢せず、楽な、「性を楽しむ:」方向に向いていきます。今のメディアは、セックス至上の考えを絶えず流しているので、それに影響されている子どもたちは、異性と付き合ったらセックスする方向の付き合い方しか知らないのです。

親が物事の道理をきちんと話したくても、子どもは多くの場合、親とのかかわりを避けます。そういう状況において、メディアや雑誌からでは得ることのできない情報を子どもたちに伝えるためにはどうすれば良いのでしょうか。

子どもと同じ立場になって、子どもの不安に立ち向かうこと

 ほとんどの子どもは、基本的には親を尊敬したいと思っています。しかし、現実には自分の気持ちを理解してくれるよりも、世間の基準を押し付けてくる親、という「親像」が子どもの中にでき上がっているのです。二者択一ではなく、「決められないで困っている自分の心を理解してくれた」と子どもがわかったとき、子どもは親に心を開いてきます。ですから、子どもと話をしているときに、子どもの考えを助けるような会話を多くする事がよいのではないでしょうか。
  「私がOOちゃん(子どもの名前)くらいのときはこんなこと思ってた」など、若いとき自分がどのように考え、感じていたかを伝えると、子どもは親との距離をいっそう身近に感じて、今まで言わなかったような質問、相談ごとをもってくるものです。実際、私も長男の高校時代に彼の進路を決めるとき、私が息子と同じ年齢の頃悩んだこと、成績が悪かったためにいざ進路を決めるときになって選択肢が無かった事等々、思い出と感想を話すと、長男も自分のことをとても多く語ってくれた経験があります。

 単に「親として心配だから、こうしなさい、ああしなさい」では、子どもは聞く耳すらもちません。親が子どもに対して心配している事と、子どもが抱えている心配は必ずしも一致しているわけではないのです。親はまず、子どもの抱えている不安を共に感じ、同じ立場でそれに向かう姿勢をとるとき、親子の信頼関係は時間を追うごとに強くなっていくのです。そして、相互に信頼感があれば、親の持っている価値観を伝えやすくなります。たとえば、子どもに「正直さ」を伝えたいとき、親子の会話の中で親が子に昔の自分があの時なぜ失敗したのか、成功したのか、どうやって友人と付き合っていたのかなど話す中で、親の価値観が表面に現れてきます。偉そうなことを言わなくても、そのときの正直な態度と発言を子どもが見て、子どもの心に、伝わり、「正直」とはどういうものか、理解するのです。子どもの中に育てたい道徳基準も、親がその見本を示す事によって、どういうことが「誠実」と言うことなのか、どういうことが「善いこと、悪い事」なのか、生活の中で感じることができて初めて身につくことなのです。それは、愛情と信頼で結ばれた親子の間では、必ず伝わっていくことでもあります。

体験と時間をかけて身につく人格

 また、親は子どもの決断を後押しする姿勢も大切です。今の時代、親も、○か×かの教育のなかで育ってきているので、子どもの出した意見、決断を直ぐに評価しがちです。しかし、人格は経験、体験を通して時間をかけて身につくものです。子どもに一番時間をかけてかかわらなくてはならないのが、親です。時には失敗もあるでしょう。そんな時、パニックになったり、爆発したりしないで、その失敗を親子で経験し、どう乗り越え、対処していくのか、という取り組み方を親が見せることで、子どもが学びます。また、親子で乗り越える事で、お互い信頼関係、親への尊敬の気持ちが育っていきます。そういう意味で、失敗も益になりうるのです。

今親は何を?

 いままで述べてきたことを根底に、私たち親は具体的に何をすべきなのでしょうか?

1 まず「すべき」(doing)より「あるべき」(being)を重視しましょう。私たちの普段の生き方が最も説得力ある「教え」なのです。

2 常に聞くことと理解することに力を入れましょう。子どもが大きくなればなるほど、お説教は効果的でなくなります。性についての有意義な話し合いは、子どもが自分のことを分かってくれたと感じたところから始まります。また、理解をもって聞くことは「賛成している」とは違うことです。「賛成か反対か」は、聞いて理解してあげた後の問題です。

3 子どもに伝えたいことは、なるべく「ストーリー」を用いて伝えましょう。イエス・キリストも「例え話」を用いて神様の真理を人々に伝えました。ス
トーリーは聞く者の心の中にしっかり残る印象やイメージを与えます。最もパワフルなストーリーは親自身の体験談ですが、他の例話も色々適切に利用することをおすすめします。しかし、要注意 ― 自分が成功した実例だけでは説得力はありません。子どもは、親の失敗談も聞くことによって安心して受け入れることが出来るのです。

4 子どもの年齢に適切な内容を伝えるようにしましょう。これは、後に他の記事で具体的に説明しますが、一般的には、ほとんどの親は性のことを全然子どもと話さないか、(少数ですが、)年齢にふさわしくない内容まで詳しく伝えすぎるかの両極端に偏りやすいです。学校では、圧倒的に後者の方が多いでしょう。原則として、子どもの好奇心に合わせて伝えることと、子どもの肉体的、精神的発達の過程において、次の段階を常に意識して語ることのバランスが大事であるように思います。

5 そして最後に、子どもたちに持ってもらいたい価値観は「人の目」でもなく「一般常識」でもなく、「親の時代の考え方」でもなく、あるいは「この時代に適した考え方」でもなく、最終的には、神様が私たちの最善のために聖書の中に表している絶対的な、信頼性がある基準の価値観なのです。そのためには、私たち親が、まずそれが何なのかをはっきり理解していく必要があるのです。


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