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【小学生】

ドブソン博士
  ドブソン博士の一問一答
 
Q104.

意志の強い子を正しく教え導きたいのですが、どうかして心をくじき傷つけてしまわないかと心配です。自尊心を傷つけないで、悪いところを直すにはどうしたらよいでしょう。

 
A.

うかがっていますと、子どもの「心」をくじくことと、「意志」を形作ることを混同している気がします。私の定義では、人間の「心」は子どもが感じる自尊心または自己価値を意味します。ですから、どの年代においても極度に壊れやすいものであり、取扱いに注意が必要です。からかいや、無作法や、もう愛してやらないという脅迫や、見捨てるようなきついことばによって、お子さんの心を傷つけてしまうのではないかというご心配は、的を射ています。

しかし、心がもろく優しく扱わねばならぬのに対し、意志は鋼鉄でできています。これは、誕生の瞬間から完璧な状態で機能している、人間のまれな機能の一つです。
「現代の心理学」誌の最近の報告によると、幼児についての研究結果が、以下のようなタイトルで紹介されていました。
「赤ちゃんは、しゃべる前から自分というものを知っている。故意に環境、殊に両親をコントロールしようとする」

この発見は、意志の強い子どもの親にとって何も耳新しいものではありません。彼らは、自分の必要や願いを言いたい放題にしゃべる「小さい王様」の言うことを聞くために夜中の2時や3時に家を歩き回らされたことがあるのです。
数年後、反抗的なよちよち歩きの子は、腹を立てて意識を失うまで息を止めてしまうことさえできます。このように極度にかたくなな反抗児を目撃したことのある人はだれでもショックを受けます。あるわがままな3歳児が最近

「だってママは、ぼくの、ただのママじゃないか!」 といって母親の命令に従うのを拒んだそうです。

もう一人の「ただのママ」から手紙をいただきました。彼女は3歳の息子にあるものを食べさせようとしました。息子はお母さんに腹を立てて、2日間まったく飲みも食べもしなかったというのです。体力は弱り、無気力状態になりましたが、息子は我を通し抜きました。当然ながら、母親は心配し罪意識を覚えました。最後に、父親が息子の顔を正面から見て

「ご飯を食べなければ、お前にふさわしいおしおきを受けることになるよ」
と言い渡しました。こうしてやっと争いは終わり、息子は降参しました。手をつけられるものには何でも手をつけ始め、事実上冷蔵庫を空にしてしまったのです。

一体全体、児童発達心理学の権威者の多くは、なぜこういう頑固な反抗心を見過ごしてきたのでしょう。なぜほとんどの書物には書かれていないのでしょう。推測ですが、子どもには悪の根があるという考えは、ヒューマニズムの理念である「本来、子どもは、快活さと善意の固まりで、我がままと不従順は、単に後から『学ぶ』」という考えとうまく合わないのでしょう。そのようなバラ色の見解を持つ方々には、「もう少し頭を柔らかく」と言うしかありません。ご質問に戻りますが、親としてのあなたの目的は子どもの心を大切にしながらしつけることなのです。

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Q105.

子どもは、何歳くらいからそんな強情を張ることができるのでしょうか。

 
A.

それぞれの気質にもよりますが、とても幼い子が意固地な行動を見せることがあります。

ある父親が、3歳の娘をバスケットボールの試合に連れていきました。もちろん、女の子は試合には全く興味がありません。それで、父親は娘に観客席を自由に歩かせました。ただ一度だけ娘の手をとり、フロアーの白線の所まで連れて行って、「いいかい、ここから向こうへ行ったらいけないよ」と注意しました。

父親が座席に戻るや否や、娘は再びちょこちょこと白線の所へ降りて行き、線の前でぴたりと止まって、わざと片足を線の向こうに置き、父親を振り返ってニコッと笑いました。「さあ、どうする?」とでも言っているかの様でした。

親ならば、誰でもいつかは、そういう経験をしているはずです。そういう子どもたちが、実際にいるんです。

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Q106.
私たちは、みなその女の子のようなのでしょうか。それとも、大きくなればそういう反抗心からは「卒業」するものでしょうか。
 
A.

成長するに従って、でてくる形は違うでしょうが、人はすべてこの反抗心に毒されています。考えてみて下さい。体育館での3歳児の行動は、人類最初の夫婦であるアダムとエバの不従順とそんなにちがいはありません。創造の神は、エデンの園で、「禁じられた木の実以外は、何を食べてもいい」と言ったのです。(つまり、「ここから向こうへ行ったらいけないよ」ということです。)

しかし、彼らは愚かにも神に逆らい、罪を全世界に招き入れてしまいました。恐らく、私たちの自分勝手な行動が、原罪の本質であって、それが全ての人間に伝わっているのです。

そういうわけで、私は子ども時代の不従順に対して、親が正しい対処をするように強調するのです。親の指導に対してであれ、神ご自身の権威に対してであれ、反抗心は危険なものです。

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Q107.

うちの息子はいつも親を試しているようです。私が本気で言っていることが分かると、初めて言う通りにします。一体、彼は何を考えているんでしょう。

 
A.

他の子どもと同じで、息子さんは許された行動の範囲がどこまでで、親がそれを本気で守らせようとしているかをどうしても知りたいのです。具体例を上げて説明しましょう。

かなり昔、進歩的教育運動の初期の頃ですが、熱心な教育理論家が、託児所を囲む鎖のフェンスを取り払おうと決めました。「子どもたちは、目に見える障害物がないほうが、自由に動き回れるにちがいない」考えたのです。しかし、フェンスが取り除かれた時、子どもたちは遊び場の真ん中辺りに群がってしまいました。伸び伸びと羽根を伸ばすどころか、敷地の端まで行くこともしませんでした。

はっきりと境界線を決めてもらったほうが、私たちは明らかに安心できるのです。それで、子どもは時に親を追いつめるようなことをしてみせます。パパやママの決意がどれだけ硬いかをテストし、自分に許された限界を探検します。

もう一つ、こういう家庭があったと想像して下さい。父親が、厳しいけれども愛情を持ってしつけをする人で、母親が優柔不断で弱く、子どもは、いじっぱりのかんしゃく持ちだとします。子どもは母親を困らせ、挑戦し、口答えし、従わず、侮辱しますが、父親は一言ふた事で息子を黙らせることが出来ます。

これはつまり、息子は父親の力を理解し、受け入れているのです。限界がはっきりしていて、父親をテストする必要がないのです。しかし、母親にははっきりしたものが何もないので、子どもは必要なら毎日でも母親にはつっかかるわけです。

お子さんが、あなたの決めた決まりを受け入れたということは、あなたを尊敬しているということです。ただ、「フェンス」がまだそこにあるのかを確かめるために、時々その境界線をテストすることはあるでしょう。

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Q108.

強情な子どもの動機については、おっしゃる通りだと思います。5歳の息子も手に負えないやんちゃ坊主で、私たちも爆発することがあります。あの子は家族全体を支配しようと思っているように感じることがあります。何を考えているのかは分かりませんが、誰にも指図をされたくないのだと思います。

 
A.

まさしくその通りでしょう。子どものこの基本的な衝動が、しばしば見過ごされているのは、驚くべきことです。本当に手ごわい子どもは、親以上にこの権力争いのことを分かっているように思います。親は、大人の責任や心配ごとで頭がいっぱいです。子どもは、親との争いに精力を注ぎますが、私達大人がそうするのはやむを得ない時のみです。

どこかの子どもたちに、指導責任のある大人についての質問をしてみてください。彼らは一致して、誰が子どもの扱い方に優れていて、誰がそうでないかをすぐに教えてくれます。どんな子どもでも、クラスをしっかり把握している先生と子どもに怯えている先生とを見分けています。

ある父親が、5歳の娘のローラが何か悪戯をしている妹に、こう言っているのを小耳にはさみました。

「や~や~や~、お母さんに言っちゃうぞ。じゃなくて、お父さんに言っちゃうぞ。お父さんのほうがこわいもん」

ローラは、両親の権威を天秤にかけて、お父さんに言うほうが利き目があると結論したのです。

この姉のほうがとくに聞き分けが悪く、意固地になってきたように父親には見えました。兄弟をいらいらさせ、親の言うことを聞かないですむ方法をさがしていました。父親は、叱ることは避けましたが、悪いことには罰を与えてやめさせました。3日から4日、ローラから目を離しませんでした。スパンクもし、部屋の隅に立たせ、罰として寝室にやることもありました。

4日目の夜、ローラは父親と妹といっしょにベッドに腰掛けていました。妹は、静かに本を読んでいたのに、ローラはいきなり彼女の髪をひっぱりました。父親は、すぐに大きな手で彼女の頭を強く抑えつけました。ローラは泣きもせずにしばらく黙って座っていて、それからこう言ったのです。

「あ~ん、もう! 全然うまくいかないんだから!」

あなたの強情な息子さんには、
「ママやパパに逆らってもムダだから、言われた通りにしよう」

と思わせることです。

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Q109.
子どもたちは、自分の行動についてほんとうに計算済みなんでしょうか。もしそうなら、私は子どものことがまったく分かっていなかったことになります。
 
A.

計算している子もいれば、いない子もいます。今話題にしているのは、誰からも命令をされたくない、我の強すぎる子です。そういう子は、自分の目的を果たすためには、用意周到な作戦を練ります。小さいころ、そういう策略の得意な友人がいました。彼は、軍隊の将軍さながらに敵の暗号を解き、その鼻をあかすことができたのです。彼は、親のしようとすることをすべて読んでいました。

ある晩、彼の家に泊まりましたが、ベッドに入ってから、父親のかんしゃくについて彼は驚くべき説明をしてみせました。それは、こうです。

「うちのパパが、怒るとね、びっくりするような、ひどい言葉を使うよ」
そして、父親が使うであろうひどいことばの例を、三つ四つ出しました。私は「まさか!」と思いました。

父親のウォーカーさんは上背があり、自制心があり控えめな人でした。息子のアールが言うようなことばを口に出すような人とは、とても考えられません。アールが、いたずらっぽく言いました。

「嘘かどうか、みせてあげようか。このまま眠らないで、しゃべったり笑ったりし続けてごらん。パパがやって来て、静かにするように何度も言うよ。来るたびに、どんどん腹を立てていって、それからさっきぼくが言ったようなすごいことばが出て来るから、まあ見ててみな」

私は半信半疑でしたが、人格者のウォーカーさんがひどい言葉を使うのは、一度聞いてみたかったのです。それで、アールと私がおしゃべりを止めないでいると、あわれなウォーカーさんは、私たちに注意をするために一時間以上も廊下を行ったり来たりしたのです。

アールの予言通り、お父さんは私たちの寝室に来る度に、その声は高く大きくなっていきました。だんだん心配になってきて、「もうやめようよ」と言いたかったのですが、アールは慣れたものでした。「さあ、そろそろだぞ」と言い続けるのです。

ついに、12時過ぎになって、ウォーカーさんの堪忍袋の緒が切れました。私たちの部屋の方へやってくる足音で、家中が震えました。ドアをけり破るような勢いで入って来て、ベッドの上の息子に殴りかかりましたが、彼は毛布を3、4枚かぶっていたので、ことなきをえました。それから、私がそれまで聞いたことのない種類のことばがウォーカーさんの口からとび出しました。私はショックでしたが、アールにしてみれば、してやったりでした。

お父さんが毛布にくるまったアールを殴りつけ、冒涜的な言葉を浴びせ続けている間も、アールは毛布の下から大声でこう言いました。
「聞いた? ね、言った通りだろ。嘘じゃないだろ?」

その晩、アールが父親に殴り殺されなかったのは、不思議です。

私は暗闇の中で、そのことを考えながら、「自分が大人になったら、子どもから絶対にこういうふうに操られないようにしよう」と決心しました。子どもたちが親を尊敬するようになるには、きちんとしつけることがどれほど大切かが分かるでしょう。

子どもという小悪魔が父母を怒りとフラストレーションの固まりに変えてしまう時、親子間にある大事なものが失われてしまいます。子どもは、年長者への軽蔑の心を育み、それは荒れ狂う思春期の時期に必ず爆発します。人間の性質のこの単純な真理をすべての人が理解できたらと、切に願います。

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Q110.

子どもが親の権威を敬うことを強調なさるのは分かりますが、もう一面の真理もあると思います。親も、子どもに対して尊敬を示す責任がありませんか。

 
A.

その通りです。子どものセルフイメージは大変にもろいもので、大切に扱わねばなりません。子どもは、家では安心して生活できるようにしてあげ、見下げたり、わざと恥ずかしい目に合わせたりしてはならず、友だちの前で罰を与えたり、あざ笑うようなことをすべきではありません。

大人にはバカバカしいもののように見える時も、その気持ちや要求は受け止めて、親切に答えるべきです。「親は、自分の事を、親身になって考えている」と感じさせるのです。私が強調したいのは、「礼儀は、どんな人間関係でも大切な要素であり、親が子どもに尊敬心を教えると同じように、親も子どもに模範を示す責任がある」ということです。

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「ドクタードブソンの一問一答」の翻訳については、ファミリー・フォーラム・ジャパンがティンデール社から許可を得ています。

Excerpted from COMPLETE MARRIAGE AND FAMILY HOME REFERENCE GUIDE ・ 2000
by James Dobson Inc. Used and translated with permission of Tyndale House Publishers.
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